最初は、アルバイトから始まりました。
空間とお客様と働く仲間が好きでした、そして店長に憧れていた。
そんなきっかけですよ。カウンターの中に入ってみると、時が経っていました。気が付けば、魅了され、世界を渡り、この土地にお店を開き、バーテンダー歴は20年以上。そんな「un cedre」のものがたりは、この「手の技術」の土台となり、お客様の目の前にお出しする一杯に。
- バーテンダー人生の幕開けは、
1991年名古屋市中区
シェーネルヴォーネンという有名なレストランバー勤務から。
最初は「家から近い」という理由。笑
ギャルソンから始まりました。接客業の奥深さ、おもしろさを知り、とにかく厳しく、苦労が多かった。
8年勤めた後、全日空ホテルのレストランバーに勤務。
有名店やホテルで腕を磨き、あっという間に時間は過ぎました。
- アメリカで本場のフレアを学びたいと思っていた最中、「上海の店を任せたい」という話が舞い込んだ。
まずは上海に行ってみることにしました。
渡海して間もなく、反日デモが起こり、勤務先は、日本国総領事館の近くで、事件現場のまさに中心部。
裏口から走って逃げるという恐怖の体験もした。1年後の2006年3月に帰国。
- エンターテインメントの聖地、ラスベガスは、パフォーマンス性の高いカクテルの本場。
念願のラスベガスへBAR修行に旅立った。
訪れたバーで大会の審査員と出会い、飛び入りでフレアショーに参加。
何件もバーを回り、技を披露しました。言葉が通じなくても、フレア・バーテンダーの世界は“同志”という厚い友情で繋がっている。世界中どこの大会に行っても、「Masaki!」と呼ばれ、大きな友情を築きました。
- カナダのバンクーバーで大きな大会に出場する為、しばらくバンクーバーに滞在することに。
入国審査から困難を極め、係官にフレアを見せて滞在理由を説明するなど、思い出が沢山。
更なる問題は、大会で必要な酒瓶集め。バンクーバーでは空き瓶が換金できるため、なかなか手に入らず、飲食店を回ってみるものの譲ってもらえない…。酒屋の前で空き瓶の寄付を求めてフレアをしたこともありました。大会は予選落ちでしたが、ラスベガスで知り合ったフレア仲間との再会を大いに楽しんだ。
- 海を渡り、出会った仲間との時間は最高でした。
「初めてお客様にカクテルをお出した、あの日の事を忘れずに。」今、「BAR un cedre」があるのも、これまで出会ったすべての方々のお陰です。
日本に戻り、東京での勤務、不況という時代の真っ只中で名古屋に戻り、栄駅にほど近い場所に新規で店を立ち上げ、その後、自分の店を開業することとなった。
2011.11.11に泉にオープンさせた「BAR un cedre」。
全て「一杉」にちなんで。「多くの人に支えられて自分がいる。接客業をしてきて本当に良かった。縁や出会いに感謝。」