オーナーさん

泉という、静かな場所に佇む

2007年に「花の都、東京」を離れる決意をして、この地、名古屋に戻りました。
昔からの仲間や、「BAR un cedre」を愛してくださる常連さんも、心地よく感じていただいていれば幸いです。日々、新たなジャンルのバーが増える中、本来のバーカウンターの「遊び方」を、人生の「学ぶ場所」として。
昔から続く“バーならでは”の愉しみを、「日本のバー」の素晴らしさを、少しでも次世代へ伝えていけるよう、「BAR un cedre」は本日も、準備を整え、お待ちしております。
扉を押し開ける手に、少しの緊張と期待を込めて、お越しください。

un cedre

一杉、

  • 01.Japan 01.Japan
  • 02.Shanghai 02.Shanghai
  • 03.Lasvegas 03.Lasvegas
  • 04.Vancouver 04.Vancouver
  • 05.Japan 05.Japan

始まりのものがたり。

最初は、アルバイトから始まりました。
空間とお客様と働く仲間が好きでした、そして店長に憧れていた。
そんなきっかけですよ。カウンターの中に入ってみると、時が経っていました。気が付けば、魅了され、世界を渡り、この土地にお店を開き、バーテンダー歴は20年以上。そんな「un cedre」のものがたりは、この「手の技術」の土台となり、お客様の目の前にお出しする一杯に。

01.Japan
バーテンダー人生の幕開けは、
1991年名古屋市中区
シェーネルヴォーネンという有名なレストランバー勤務から。
最初は「家から近い」という理由。笑
ギャルソンから始まりました。接客業の奥深さ、おもしろさを知り、とにかく厳しく、苦労が多かった。
8年勤めた後、全日空ホテルのレストランバーに勤務。
有名店やホテルで腕を磨き、あっという間に時間は過ぎました。
02.Shanghai
アメリカで本場のフレアを学びたいと思っていた最中、「上海の店を任せたい」という話が舞い込んだ。
まずは上海に行ってみることにしました。
渡海して間もなく、反日デモが起こり、勤務先は、日本国総領事館の近くで、事件現場のまさに中心部。
裏口から走って逃げるという恐怖の体験もした。1年後の2006年3月に帰国。
03.Lasvegas
エンターテインメントの聖地、ラスベガスは、パフォーマンス性の高いカクテルの本場。
念願のラスベガスへBAR修行に旅立った。
訪れたバーで大会の審査員と出会い、飛び入りでフレアショーに参加。
何件もバーを回り、技を披露しました。言葉が通じなくても、フレア・バーテンダーの世界は“同志”という厚い友情で繋がっている。世界中どこの大会に行っても、「Masaki!」と呼ばれ、大きな友情を築きました。
04.Vancouver
カナダのバンクーバーで大きな大会に出場する為、しばらくバンクーバーに滞在することに。
入国審査から困難を極め、係官にフレアを見せて滞在理由を説明するなど、思い出が沢山。
更なる問題は、大会で必要な酒瓶集め。バンクーバーでは空き瓶が換金できるため、なかなか手に入らず、飲食店を回ってみるものの譲ってもらえない…。酒屋の前で空き瓶の寄付を求めてフレアをしたこともありました。大会は予選落ちでしたが、ラスベガスで知り合ったフレア仲間との再会を大いに楽しんだ。
05.Japan
海を渡り、出会った仲間との時間は最高でした。
「初めてお客様にカクテルをお出した、あの日の事を忘れずに。」今、「BAR un cedre」があるのも、これまで出会ったすべての方々のお陰です。
日本に戻り、東京での勤務、不況という時代の真っ只中で名古屋に戻り、栄駅にほど近い場所に新規で店を立ち上げ、その後、自分の店を開業することとなった。
2011.11.11に泉にオープンさせた「BAR un cedre」。
全て「一杉」にちなんで。「多くの人に支えられて自分がいる。接客業をしてきて本当に良かった。縁や出会いに感謝。」

FLAIR

バッジ

「FLAIR」直訳すると「直感・第六感」「生まれもった才能」「自己表現」という意味があります。ボトルやシェイカーを投げたり、回転させたりしながらカクテルを作り、お客様に愉しんでいただきます。
独自のパフォーマンスで最上級のエンターティナー。
混雑時は、少しお待ちいただく事もございます。ご相談下さい。

思い出のカクテル

思い出・・・苦労したカクテルとも言いますか。
今でも鮮明に、カクテルに奮闘した映像が蘇ります。
そんな1杯を知ってか知らずか、味わいも変わるかもしれません。

修行時代、最初の1年間はカクテルを作ることは許されなかった。
やっと半年経った頃、シェイカーの練習から始まる日々。
誰よりも早く店に行き、掃除・氷も仕込み、先輩が到着する頃に唯一残っている仕事と言えば・・・、
「自分にカクテルを教える事。」教えるしかない環境を何とか作るのも作戦です。

東京、大阪のバーを巡り、なけなしのお金で、色んなカクテルの味を勉強しました。
美味しいと感じたものに、自分の味を加えていく。追求の道はとまらない。

いつも変わらないカクテルをお出しするのはもちろんですが、「お客様の味で出したい。」

ウォッカトニック
1,000yen
修行時代、当時働いていた、お店の大常連さんがウォッカトニック好きで、認めてもらう為に日々ウォッカトニックを作り続けました。
自分の作ったカクテルは料金をいただけない日々が続き、その方にぴったりな、美味しいウォッカ・トニックを作ってやろう!
カクテルを作り、お客様の目の前にしっかりとしたものを出せるまでは1年以上経っていた。
バラライカ
1,000yen
バラライカは店長が好きだったカクテル。
今では製造中止になった銘柄ですが、
昔もプレミアムウォッカがあったんですよ!
店長に作らせてもらい、飲んでもらう。
バラライカはショートカクテルで、スッキリしていて、苦くない。
その当時は、ウォッカベースを好む時代でした。 他の味が出やすいため、難しく、バランスが取りにくい。
一番尊敬する人が好きだった味。

※価格は全て税抜き表記です。

まずは、季節感じるAmuseを。